大口よしのりの政策・実績

大口よしのり国会質問

大口よしのり国会質問

2007年4月26日

166-衆-教育再生に関する特別委…-5号 平成19年04月26日

○大口委員 公明党の大口善徳でございます。
本日は、梶田先生、高倉先生、嶺井先生、勝野先生、本当に貴重なお時間を、また貴重な御意見を賜りまして、心から感謝申し上げます。
私も弁護士であるわけですけれども、自分の職業を決めるときに、高校の教師から、法律の知識がなくて、実は自分の友人がこういう状況になっているんだ、この中で、そのことを感じてくれた人の中に法曹を目指す人が育ってほしい、こういうお話を聞いて非常に感激いたしまして、それで法曹を志した、こういうことでございまして、ある意味では私の人生を決定づけるそういう話を授業の中で聞いた、こういう経験がございます。
そういう点で、教師というのは、本当に生徒にとって、子供にとって極めて大事な存在である。私は、そういう点で尊敬もいたしますし、そしてまた、教育現場で一生懸命頑張っておられる先生もたくさんいらっしゃいます。そういうことで、もっともっと教師が尊敬され、そして師と仰がれるような存在になっていただくことが本当に大事だな、こう考えております。
そういう中で、今回、更新制の問題、そして教師の人事管理システム、これを国の制度としてきちっと法律づける、こういう大改正になったわけでございます。
まず、梶田参考人にお伺いしたいと思います。
参考人は、中教審の部会長として、この三月十日、今回の答申を、相当な苦労があったと思われます。とにかく、三週ぐらい続けて土曜か日曜か審議をされて、教員免許の更新制導入について、これは、先生は、平成十二年十二月の教育改革国民会議の報告「教育を変える十七の提案」で検討するとされてから、平成十四年の中教審において、一度は、この導入を見送らざるを得ない、こういうことがあって、その後、議論の変遷があって、そして今回のこの更新制の導入という結論に至ったわけでございます。
そういう点で、梶田参考人は、この間の教育改革国民会議から中教審までの議論にずっとかかわってこられた、こう思うわけです。その変遷と、特にこの議論の中でこれだけは言っておきたいということがありましたら、御教示願いたいと思います。

○梶田参考人 二〇〇〇年から今に至るまで、中教審あるいはその前の教育改革国民会議で議論させていただきまして、教員の問題につきまして、ここに絞ってまいりますと、常に、現実論と理想論といいますか、これをいろいろな形でお互い出し合ったんだなということを思います。
やはり教師というのは、だれが見ても尊敬される存在であってほしいんですよ。これは中身、専門的な力量もそうですし、人間的にもそうですし、それから情熱とかやる気とか使命感とかなんですけれども。
しかし、小中高の先生だけで百万人おられますから、そうすると、毎日毎日、新聞種になるような、そういう事件も実際には起こっているわけです。あるいは、地域によっては、これはもう余り言いたくありませんけれども、かなり、できるだけ楽をしたい、できるだけ自分勝手をしたい、それが教師の自由なんだ、これが教職の魅力なんだという、履き違えた人たちがおるようなところもないわけではありません。これが現実なんですね。
ただし、大急ぎで言いますけれども、一生懸命やる人というのは、本当に一生懸命やります。本当に寝食を忘れてやっている教師もいっぱいおります。あるいは、私どもは、もう二十何年、私たちの人間教育研究協議会というんですが、勉強会を持っておりまして、これが夏に、二、三日かけて実践交流会をやります。これにもう二十何年、毎回身銭を切って、そして自分で旅費を払って千人以上が集まってこられるわけですね。そういう熱心な人たちもおります。
こういう、ある意味で非常にバラエティーに富む教師集団、百万人おられます。これを全体として底上げするにはどうするか、これが一つの大きな課題だったと思います。全体としてまず底上げしなきゃいけない。これが、今回も申し上げましたが、免許更新制の問題でもありますし、あるいは、大学における教員養成のカリキュラムを改善するということでもありますし、教職大学院をつくるということでもあります。
しかし、もう一つは、やはり、ほんの一%かあるいは何%かわかりませんけれども、少数だけれども、これまで教師が日本社会で大事にされてきたということに甘えまして、やはり世の中の常識からいってこれはどうかなという存在がないわけではない。この人たちにどういうふうにしてもらうか。例えば、研修に出てもらって、そこで自分を振り返る、そういうチャンスを持ってもらうとか、あるいは、それでもだめな場合にはどうするかとか。
あるいは、今、実を言うと、いろいろと不祥事を起こしても、地域によっては処分が非常に甘いんです。それで、そういうものについてどういうふうに、まさに厳格な人事管理ですね。処分が甘い。本当に新聞種になるようなことをやっても、普通は懲戒免職にならないことが多いんです。自主的に退職すればいい方。こういうことがありますので、これをどうするか。
こういう全体としての底上げと個別のいろいろなことについて、もう少し世の中の常識に合ったように、あるいは世の中の人たちに信頼してもらえるようにどういうふうにやるかということで、ずっと議論してきたと思います。
時期によっては、理想論が勝って、そんなうるさいことを言ったら教師のなり手がなくなるよ、もっともっと教師を大事にするというその姿勢を示すのが大事だというのが勝つときもありましたし、そうじゃなくて、そのことは大事なんだけれども、まずい点があれば今の時期に思い切って是正しなければまずいんじゃないかなということがあって、そういうことで今日に来て今回の御提案になっている、そういうふうに私は見ております。

○大口委員 次に、高倉参考人にお伺いしたいと思います。
先生はこの教員の免許制度をずっとやってこられたということをよく存じております。その中で、平成十四年の中教審で、なお慎重にという結論が出た。今回、更新制というものに踏み出された。ここに至って、現場の教師の方々が、こういう更新制ですとかあるいは不適切な教員の人事管理制度を法律化するということに対してどのように受けとめておられるのか。やはり、これは前向きな制度として考えるべきだ、私はこう思うわけでありますけれども、いろいろ疑心暗鬼があったり、不安をあおられたりという形で、今の現場の教師の方々が非常に不安に思われている。
そういうことで、今回のこの更新制等について、現場の教師がどういうふうに受けとめられているのか、そして、どういうふうに説明をして、しっかり理解してもらうようにすればいいのか。
それからもう一つ、特別免許状について。これは、今回は十年という形に決まったわけですけれども、社会人を活用していこうということから期限の撤廃ということがなされたわけですね。その考え方と今回の考え方の整合性について。
二点、お伺いしたいと思います。

○高倉参考人 率直に申しまして、現場の受けとめ方というのは非常に混乱していると思います。その非常に大きな原因というものは、情報が十分に伝わっていない、こういうことではなかろうかと思います。したがいまして、教育再生会議ではございませんけれども、社会総がかりで取りかかるという教育改革あるいは教育再生の営みが必要なわけでございますので、やはり総がかりで、教育改革、更新制の意義、あるいはその中身等々についての十分な情報を提供し、そして先生方が本当にそれを理解して、自分たちがその中でもって新しい制度の成立及びそれの実行というものに協力してくださるような、そういった努力をするということが非常に大切ではなかろうかというふうに思っております。
なお、特別免許状の件でございますが、これをどうするかということでございます。これは、何もかも一緒に考えるということには問題があろうかと思います。
私、ちょっとユネスコで仕事をしたというふうなことがございます。そのとき、ユネスコで採択したリコメンデーションがございます。それは、教員の役割の変化と教員養成及び研修に対する影響、それにかかわる勧告ということでございます。
教員の役割というのは、変化した、チェンジドではなくて、チェンジングだというふうなことですね。そういったことから、もっともっと教育あるいは教員の世界にいろいろな地域社会のスペシャリストあるいはプロフェッショナルズをどんどんインバイトすべきだというような勧告の取りまとめをしました。
そのときに、私、今思い出しましたけれども、大分前ですが、社会人を積極的に受け入れる、モア・アンド・モア・インボルブドというような原案をつくりました。そうしましたら、大変な反発を受けまして、やはりモア・アンド・モアというところに問題があるというようなことで、大体、国際的合意というのはアプロプリエートとかアプロプリエートリーという言葉を差し挟むことによって合意を得るというのが一つの鉄則でございますが、そういったことで合意を取りつけたということがあります。
したがいまして、社会人を教育の現場にインボルブする、インバイトするということは、非常に教育の世界に対する活性化というような役割を果たすと同時に、やはりもう一つ、十分な条件なりあるいはそれに対する合意というものが必要かなというふうに思っております。
なお、先生のお尋ねは、正規の免許状と特別免許状が更新制というところで別の扱いをされるのはいかがなものかということでございます。それについては、やはり何もかも同じに考えるということじゃなくて、多様な対応というのはあってもしかるべきだというふうに考えております。
ありがとうございました。

○大口委員 教師の今置かれている立場の中に、例えば、要するに給食費の取り立てまで学校の先生がやられている。相当大変な、事務だけじゃなくていろいろな負担が現場の教師にかかっている、こう思っております。こういうことで本当に子供としっかり向き合えるのかということは、私は本当に真剣に考えなきゃいけないと思っております。
ですから、本当に、要求されることは非常にレベルの高いことがどんどんこれからふえてくるわけですね。一方では、給食費が未納のところへ取り立てまで行かなきゃいけない。そういうことで、勝野参考人、非常に今現場の教師が本当に向き合えるのかということについての問題提起がございました。そこで、本当に子供と向き合えるあり方というものについて御意見をいただければと思います。
それから、嶺井参考人につきましては、十年に一回のリニューアルということは不十分じゃないかということでございますけれども、では、十年に一回、十年経験者研修というのがありますけれども、あるべき姿、これは与党も民主党も提案しておるわけですけれども、やるとしたらどういうふうにやるべきなのか。時間等は、三十時間とか百時間とか、今、与党、野党、提案ありますけれども、どうあるべきなのかをお伺いしたいと思います。

○勝野参考人 お答えします。
教師がその本来の仕事、やりがいを見出せるように子供たちや保護者と向き合える、そのためにはどうすればいいかというふうなことでしたけれども、私は、今その改革を見てみますと、改革の論理というのが足し算の論理になっている、あるいは場合によったら掛け算の論理になっている。次々と改革施策というのが学校現場の中に押し寄せておりますし、また、先ほど申し上げたような社会的な状況の変化、子育て環境の変化という中で、今お話しいただきましたような教師の大変さ、しんどさというのが生まれているわけだと思うんです。
ですから、私は、基本的には今、教育、学校現場といったものの自律性ですとか自主性、教師が自主的に、先ほど来もお話ありましたように、自分たちである意味では身を律するというふうなこと、そういったことをきちっとできるような条件、そのためには、その改革というのを、足し算や掛け算の論理ではなくて、むしろ今、引き算の論理というんでしょうか、特に国が行うような改革あるいは自治体が行うような改革に関しては、極力、引き算というんでしょうか、なるべく学校現場の自主性を尊重するような方向での改革というふうなことを考えるべきだというふうに思います。そのことによって、教師の本当の意味でのゆとりというものが生まれるんだというふうに思います。
以上です。

○嶺井参考人 私は、日々リニューアルされるべき知見でありますとか子供への対応の仕方といったものは更新制という形ではない方が望ましいと考えておりますので、どういう更新制が望ましいかということについては考えておりません。むしろ、校内研修とかそれぞれの地域の中での幾つかの学校が集まった研修でありますとか、そういう中で、学校での子供たちの様子、地域や家庭での子供たちの様子を日々保護者などと情報を交換しながら、どうやっていったらいいんだろうかということを考えるようなゆとりが、そういう仕組みができればいいなというふうに考えております。

○大口委員 最後に、梶田参考人にお伺いしたいと思います。
これは免許のことではないんですが、地教行法において、私立学校を所管する都道府県知事は、私立学校に関する事務について、必要と認めるときは、教育委員会に対し、学校教育に関する専門的事項について助言、援助を求めることができる規定が設けられたわけですね。実際の運用として、私は、私立学校の自主性が尊重されるべきである、こう考えておりますが、これについての先生の御見解。
それと、今回、教育委員会の方の法令違反、怠りによって、緊急に生徒の生命身体を保護する必要が生じた場合に、他の措置によってはその是正を図ることが困難な場合、文科大臣が是正、改善の指示ができることが規定されています。これについて、首長も、教育委員会の任命権者である立場から、支援を必要と考えるわけでございます。これは当然、総務大臣の答弁もありましたように、地方自治法の枠内ということでございますので、問題はないと思いますが、この二点についてお伺いしたいと思います。

○梶田参考人 まず最初の、私立の学校の問題、これは非常に重要なことだと思っております。日本は非常にいいことに、私立の学校に対して自由度を与えております。これが、いろいろな近隣の諸国などで、かなり不自由なところもあります。自由な私立学校、つまり、私立というのは公立にできない教育をやるということでつくるわけですね。建学の精神があり、そして、その学校独自の教育の取り組みがある。
もちろん、公教育ですから、法令にはきちっと準拠してやらなきゃいけない。学習指導要領にもきちっと準拠しなきゃいけませんので、未履修とかそういうことはあってはいけませんけれども、私立ということは、ある意味で、公立学校が米の飯であるとするならば、アラカルトをいろいろな形で準備して、国民の皆さんに多様な教育機会を提供する、そういうすぐれた全体のシステムじゃないかなと思っております。
これにつきまして、もちろん法令違反とかそういうことがあれば、現在、知事部局が専門学校とか高等学校以下の場合には指導することになっております。あるいは、大学なども国がある程度指導することにはなっているわけですけれども、それはかなり抑制的でなきゃいけない。もちろん、間違ったことについては指摘しなきゃいけないけれども、やはり、抑制的でなければ第二の公立をつくってしまうようなことになってしまうと思います。それであるならば、単なる公立の補完ということになってしまいまして、今申し上げた、国民の皆さんに多様な教育機会を保障する極めてすぐれたシステムとしての私立学校の存在意義がなくなってしまうということを思っております。
したがって、今回の地教行法の改正の中で、もしどうしても必要ならば知事が、例えば高校の未履修の問題などに教育委員会の応援を求めて助言してもらうということ、これはあってもいいかと思いますけれども、指示だとか命令というものが公立学校と同じような形でかかる、そういうことはやはり避けなければいけない、こういうふうに思っております。
もう一つの、国が、例えば都道府県の教育委員会に対して是正の要求ができるとか、非常に差し迫った場合にはそれ以上のことがやれる。これは、今御指摘のとおり、今の地方自治法にあるそういう趣旨を地教行法にも明記したということであります。
この点は非常にやはり大事なことであって、自主性は大事です、都道府県の自主性も大事でしょう、市町村の自主性も大事でしょう、個別の学校の自主性も大事でしょう、そして個別の教師の自主性も大事です。しかし、それが、それぞれのレベルでの自主性、別の言葉で言うと、それぞれのレベルの責任がいわばひとり歩きしちゃいけないわけですね。やはり国は国で責任を持たなきゃいけない、都道府県は都道府県で、市町村は市町村で、そして個別の先生は個別の先生で。このお互いの連携関係をどうするか、ある意味では、責任の分担をどうするか。
そして、問題が起こったときに、やはり国も責任をとらなければいけない。これは個別の学校の問題だから、例えばいじめで自殺が出た、これはその学校の責任だから国は知りませんよでは済まないと思うんですよ。もちろん、まず学校の責任は考えなきゃいけない、設置者である教育委員会の責任も考えなきゃいけませんが、必要があれば、国もやはり相応に物を申し上げなきゃいけない場合もあるだろう、そういうふうに思います。
そういうことで、今回、これも私は、改正案におきましては非常に抑制された表現で、それぞれのレベルでの責任を明確にするということになったんじゃないかというふうに思っております。

○大口委員 ありがとうございました。
以上で質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

大口よしのりについて
大口よしのりについて
活動記録
活動記録
政策・実績
政策・実績
リンク集
リンク集

▲このページの先頭へ